2014年3月「’61年式タイガー100との出会い」の巻

「人間の馬鹿は死ななきゃ治らない。」

 これが今回のテーマである。
 以前、1966年式本田S800クーペに乗っていた。
 「毎日乗れるような車じゃない」「こんな車で通勤するなんて」
と言われながら、7年間、毎日(壊れていない時はwww)乗り回した。雪の日もだ。
 たぶん、スタッドレスタイヤを履いたことのあるS800はあいつだけじゃないかと思う。
 維持に金が大量にかかることと、車自体がだんだんヤレて来てかわいそうになったのを機に、
欲しがっている方に譲ってしまった。

 あれからもう7年…。
 すっかり昔の心の傷は忘れ、毎日調子の(割と)いい車とバイクに乗っていて、何の不足もなかった。
 …はずであった。
 ところが、忘れていたはずの「壊れる乗り物に乗りたい」病がまたぞろ発生したのだ。
 
 偶然、4年前の2010年にボンネビルを手に入れたとき、ディーラーにあったあのバイクが、
 買い戻されて店に戻ってきたのだ…それが…1961年型タイガー100(T100A)である。

 当時もこの「バスタブ・フェアリング」
 ※西洋の浴槽をひっくり返したような形だからだろうな
 超個性的である。人によっては「醜い」という人もいる。
 しかし、私はこれを
「美しい」と呼ぶ。
 このバイクはその時、四国の方に買われていったのだそうな。
 
 それが、4年の時を経て、また戻って来たのである。
 ボンネビルはちょうど一回目の車検を終えたところであった。
 さて、この出会いをどうとらえるか。
 今更バイクを2台所持する意味も余裕もないのであるがw、
 いかんせん、乗ってみなければそのバイクの持つ本当の魅力など分かりはしない。
 まして、電子制御で何も手出しができない車やバイクばかりに囲まれてると、
 こういう「駄々っ子」がかわいく見えて仕方がないのだ。

 数か月迷った挙句、とうとう契約をしてしまった。
 しばらくはバイクや預かりで、色々な部品を交換してもらったり、オイル漏れ対策を(まあ、できる範囲でw)やってもらい、やっとこのことで納車の日を迎えたのだ。

 当日、家からバイク店まで徒歩にて(笑)向かう。これまた儀式みたいなもんだ。
 片道3キロもないので余裕だと思ったが、意外や道に迷ったりして50分はかかってしまった。
 
 店の前には、すでにタイガー君がスタンバっていた。
 担当されたメカニックの方から、いろいろ注意点を聴く。
 部品の配置や、オイル関係のチェック法、エンジン始動のやりかた、加入したロードサービスの説明などなど(絶対使うからね!)
 一通り終わった後は、もう走り出すしかない。

 恐る恐る、エンジン始動してもらったタイガーにまたがる。
 見た目もそうだったが、またがってみると想像以上にコンパクトである。
 500ccのユニットエンジンは、多少ばらつきながらも元気に動き続けている。
 そして恐怖の右足チェンジ。
 クラッチを切り、恐る恐る踏むと、意外や静かに「カチャ」っと1速に入る。
 左足のブレーキはもう走りながら慣れるしかない。ええい、ままよっとばかりに、国道17号へ飛び出した。

 けつの下から伝わってくるエンジンの振動。
 レンジの広いギア。一般道なら3速で流れに乗れる。
 若干弱めのフロントブレーキと、効きの良いリアブレーキとのバランス。
 いろんなことを考えながら、しばらく近所を走り回った。

 ちょうど早咲きの桜が咲いている神社を見かけたので停車。
 記念すべき一日目の姿を撮影した。
 次の日は、さらに長い距離を走り、調子を確かめた。
 だいぶ左足ブレーキにも慣れてきた(笑)。
 ただ、渋滞に巻き込まれた下り坂で、エンジンが停止。
 燃料が行かなくなったせいか、プラグかぶりか、理由ははっきりしないが、
 平地に移してしばらくたってから始動したら復活。
 久しぶりに
「無事に帰れるか不安」状態を体験した!

 まず初めに気づいたエンジン始動関係の注意事項をまとめておこう。
①燃料コックを下向き=ONに。
②AMAL626のティクラーを押してオーバーフローさせる。
 ※寒ければさらにチョークレバーも使って。
③上死点を探す。
④キックで指導。
 ※通常2~3発で始動することが判明。
⑤ギアは4速リターンだが、2と3の間にもNができる(笑)
⑥アイドリング回転数はキャブ横の斜めになったねじで調整できる。
⑦オイルにじみはチェーンケース側に発生中。でもまだ微量(爆)。

 これから、長く付き合う中でいろいろ直したり壊したりしていければいいと思うoyoyoであった。。