PMC7067/7068「"The Beatles(White Album)"(mono)」の巻
 
"The Beatles"
Release:November 22nd,1968

Matrix No.:XEX709-1/XEX710-1/XEX711-1/XEX712-1
Stamper/Mother No.:OM(54)/5 TT(99)/5・PH(67)/2 PP(66)/4
Weight :155g/155g
Tax Code:None
Jacket: Garrod & Lofthouse Co.LTD
Limited Number:0001120


Matrix No.:XEX709-1/XEX710-1/XEX711-1/XEX712-1
Stamper/Mother No.:RL(28)/5 GDO(105)/5・MT(49)/1 OG(51)/2
Weight :155g/150g
Tax Code:KJT
Jacket: Garrod & Lofthouse Co.LTD
Limited Number:0577803

 前作「サージェントペパー」では、一時的にポールに主導権を握られたジョン。
 その復活(?)を示すのが、このビートルズ初のダブルアルバムその名も「The Beatles」である。
 もちろんそれだけではなく、このLPがある意味ではビートルズの
最後のターニング・ポイントであったともいえるのである。そう、これは「解散」へのターニングポイントなのだ・・・。

 このアルバムの録音されていたころ、彼らは「アップル社」を設立。
 自らのレコードもここからリリースする傍ら、新しい才能の発掘と称して、いろいろなアーティストのプロデュースに乗り出したのである。
 ところが、そのような活動も結果的に各メンバーおのおの勝手な方向に進む結果となり、このアルバムにもその雰囲気が反映されているのが皮肉である。ジェフ・エメリック君も、あまりの雰囲気の悪さに担当エンジニアを放り出し・・・。
 しかし、悲しいかな、
このエゴのせめぎあいこそが、ジョンの復活の原動力となっていることも事実である。

 ジョンは小野洋子と出会い、新しいインスピレーションの源を得た。これにより、創作意欲は再び燃え上がることとなったが、これは逆に言えば、他のメンバーとの確執を生む源ともなったのである。
 さらに、リンゴにいたってはあまりの居場所の無さに一時バンドを脱退する始末・・・。そのリンゴ君の留守中に、なんとポールがドラムに座り録音をしてしまう・・・良くも悪くもこの時期の「無慈悲」さ。
 まさに、よく書籍に書かれている
「彼とそのバックバンド」状態である。
 
 しかし、インド滞在においてたくさんの曲のアイデアを生み出すにいたったジョンとポール、ジョージ・・・。特にジョンは、やる気満々でのレコーディングスタートとなったであろうことは想像に難くない。前作でポールの「好き放題」にされた彼は、きっと
「あんなものはたいしたことない、今度はもっとすごいことを俺がやってやる」と思っていたであろう。
 それは、この「ミニマム・アート」的真っ白なジャケットに象徴されている。
 「ポールがあのサイケデリックなジャケットなら、俺はこの真っ白な、想像力を掻き立てるジャケットさ。」

 このエゴとエゴとの戦いが、「リリースするに値する曲だけに絞る」という、今までこのバンドを縛っていた「常識」すらどこかへやってしまい、お互いが一歩も譲らない緊張状態を生み出し、この「玉石混交のアルバム」にしてしまったのだ。
 今となっては
その「玉石混交」こそがこのアルバムの魅力となっているが、「Revolution #9」をいきなり聴かされた当時のファンは、きっと頭に「?」マークを浮かべながら聞いたことだろう。

勢力図でいくと、
ジョンが
「Dear Prudence」
「Grass Onion」
「The Continuing Story Of Bungalow Bill」
「I'm So Tired」
「Yer Blues」
「Happiness Is A Warm Gun」
「Everybody's Got something To Hide Except Me And My Monkey」
「Sexy Sadie」
「Revolution 1」
「Revolution 9」
「Cry Baby Cry」
「Good Night」(リンゴ歌)で12曲。
ポールが
「Back In The USSR」
「Ob-La-Di, Ob-La-Da」
「Martha My Dear」
「Blackbird」
「Rockey Raccoon」
「Why Don't We Do It In The Road」
「Mother Nature's Son」
「Helter Skelter」
「I Will」

「Honey Pie」
で10曲。
これでふたりはほぼ五分と五分である
 ※しかし、こう見るとやはりポールの曲のほうが一曲あたりの「水準」が高い気が・・・(笑)。

ジョージは遠慮がちに「
While My Guitar Gently Weeps」「Piggies」「Long Long Long」「Savoy Truffle」の4曲。
なんとリンゴも「
Don't Pass Me By」で自作曲デビュー。
セッション派生曲が「Wild Honey Pie」「Birthday」の2曲。

とにかく、ぶち込めるものは何でもぶち込んだ感のアルバムであるが、
だからこそ、多くの人間の心にズバッと来る曲があるのも事実。
チャールズ・マンソンのように間違ったメッセージを受け取っちゃったやつもいたが、
自分のお気に入りの曲を見つけることのできる、いわば「曲のデパート」と化したアルバムなのである。


レーベルの変遷については諸説ありますが、以下のようである。
タイプ1-A・・・「An E.M.I Recording 表示無しのもの」
    1-B・・・「An E.M.I Recording 表示のあるもの
(画像のタイプ)」
 Bタイプも1968年11月にスタートした印字で、両者はかなり混在しているようである。場合によっては片面A、片面Bタイプという盤も存在するらしい。

1969年になると、「Sold In U.K.」(リマーク)が無くなる。