本文へジャンプ
1994年8月。1回目の渡英・・・

8月21日(日)
 明け方まで騒いでいたため、B&Bのチェックアウトを12:00まで伸ばし、昼頃に愛すべきリバプールを後にした。クレアの愛車に乗り込んだ私たちは、さらに北方にある湖水地方(LakeDistrict)を目指した。
 途中、道が途切れてフェリーで湖を渡るのだが、その時T氏は意外なことを言い出した。
「実は皆さんにお別れを言わなければなりません。実は私はレイク・ディストリクト人だったんです。やっとホームワード・バウンド(?)に帰ってきました」
1枚目の写真はその告白のときのT氏の表情である。彼の気持ちは良く分かる。釣りと自然を愛する男にとって、湖水地方はまさに理想郷であった。
 ホークスヘッドという町に着く。町並みは全て石造り。しかも薄く加工した、いわゆるスレートといわれるものを積み重ねてあるのだ。家の壁も屋根もガードレールも全て石、石、石。限られた資源で人間が暮らしてきた様子が伝わってくる。
 その後、Ambleside(発音はアンバサイドと聞こえるのだが)に移動し、チャーチル・ホテルという小奇麗なホテルにチェック・イン。一泊12ポンド。当時は1ポンドは150円だったと記憶しているので、2000円足らず。本当にイギリスB&Bの旅は安く上がるのだ。
 ところが…この安さに一つだけ秘密があったのだ。
 3枚目の写真を見て欲しい。ダブルベッドを男二人で共有しているのがお分かりだろうか?安くするためにファミリー・ルームをとったのだが、あいにくダブルベッド1&シングルベッド1の部屋しか取れなかったのである。いくら知り合い同士といっても、男同士で間違いがあってはいけない。そこで、私とT氏の境界線に枕をならべ、お互いの領地へ入り混まぬようにしたのだ。
 夜中、この策が効してお互い絡み合うことは無かったが、夜中に「やすお」の話題で盛り上がり、笑いが止まらなくなって眠れなかった。しかも、T氏は夜中に英語で「Oh,Yes…」寝言を言っていた。彼の英語力もとうとう神の領域に来たか…と感心した。
 次の日、なんの夢を見たのか、と尋ねた私にT氏は、「全裸で自転車をこいでいる夢を見た」と語った。
…一体何が「Oh,Yes」だったのか…いまだにこの旅の最大の謎だ。




8月22日(月)
 クレアの愛車コルトが調子悪いため、修理をすることに。その間、ハイキングにでも行けば良いとアドバイスされ、午前中宿近くのハイキングコースを一周することにした。
 まさにイギリスの田園風景といった感じの丘陵地帯を、変化にとんだ遊歩道が貫いている。所々にゲートがあるが、これは羊が逃げ出さないためのもの。通行者はそれを勝手に空けて、そして締めておけば良いというわけだ。まさに社会で習った「囲い込み運動」である。エンクロージャーっていうのだっけ?
 ホテルに戻り、サンドウィッチの昼食をとったあと、午後は各自の別行動にすることにした。T氏とクレアは、T氏の欲しがっていたオイル・コートを探しに町に出ることに。私はもう少し大きな湖が見たかったので、バスに乗ってウィンダミアという町へ向かった。
 しかし、着いてみると、地図で見たのとは大違いで湖ははるか彼方。仕方なくとぼとぼ湖に向かって歩いていると、右手に「ピーターラビット」の作者、ビアトリス・ポッター館があった。せっかくだからそこを見学。その後、大きな遊覧船に乗ってもとのAmblesideへ向かった。甲板で、湖を渡る風に吹かれるのはとても気持ちよかった。T氏ではないが、ずっとこの国に残っていたいような気持ちになった。船着場についてみると、これまた思ったよりも随分南だったので、また歩いて町まで戻った。
 その後、無事直ったクレアの愛車コルトでニューキャッスルへの帰途に着く。途中の町で夕食をとるためにレストランに。ここで私はクレアと口論に。
私「日本人は親を大切にするから、長男である私は親を残して海外に住むわけニャーいかないのだ!」
ク「ナンセンス。イギリスに住んで音楽やったら良いじゃないの。そんなにやりたいのなら。」
私「日本人には日本人の生き方があるんじゃー!」
 結局、私はそろそろ旅の終わりが近づいているもやもやをぶつけただけだった。クレアは、そんな私に一言いった。
ク「あんたの英語は、酔って怒っているときが一番お上手ね。」と…。