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1994年8月。1回目の渡英・・・

 19日の夜は、マシュー・ストリートのジョン・レノン・クラブなどで時間をつぶし、夜11時に明日演奏する場所「フラニガンズ〜」を偵察。なかなか演奏が始まらないばかりか、白髪の老婆がツイストを踊りまくっていたり、酔ったアイリッシュが床におしっこをし始めるなど、イギリスの港町ならではの「荒くれ」を味わう。少々ビビリました。正直…。

8月20日(土)
 いよいよライブ当日。午前中はアルバート・ドックにある「ビートルズ・ストーリー」(ビートルズの歴史を展示した博物館)などを見て回る。「ストーリー」は、ビートルズに詳しい人なら「当たり前ジャン」的な内容を展示してあるだけなのだが、それでも結構楽しめるところだ。私はショップで本2冊と4人のピンバッジなどを購入し、存分に楽しんだ。
 さて、昼食後は、万が一、楽器を貸してもらえない時のために持ってきたギターの弦を張替え、いよいよ演奏するパブに。今日の演奏場所は地下スペースだった。まさに雰囲気は「キャバーン」。ばっちりだ。
 午後5時からホストバンドの演奏スタートだ。途中でトイレに行ったら壁に「NoMoreBeatles」(ビートルズなどたくさんだ!!)などという落書きを発見。心に不安がよぎる。(まさか、演奏し始めたら客が暴れるなんてことは…ビール瓶くらい飛んでくるかも・・・)
 数曲演奏が終わると、いよいよ我々の出番がやってきた。ボーカルの人に「バンド名を」と言われ、「Yosshy&Hasshy」(よっしー&はっしー)と適当に答えて置いたのが悪かったのか、紹介は「ウィッキー&ブラッキー」に変わってた。気にしない。まず、その日のサッカーでリバプールが勝ったことをお祝い申し上げてつかみはOK!場内は盛り上がっている。これならいけるぞ!とやおら3曲をたたみかける。
1: I Saw Her Standing There
2: Can’t Buy Me Love
3: You Can’t Do That
(これは、こちらの希望で決めたわけでもなく、ホストバンドの人が覚えているナンバーから選択したのだ)



 演奏が始まった。ギターのおじ様とキーの打ち合わせをしながらいると、おじさま、突然前奏弾き始めた!2小節聞いたあとにスタートするT氏と私。歌が始まると、会場のお客たちが曲に合わせて歌い始めた。さすが本場だ。さらに、座っていたお客が立ち上がり、前の広くなったスペースで踊り始めた。2枚目の写真には、踊り狂う人々のしりが写っているであろう。おかげで私の顔が半分である。VTRで見ると、このしりが動くさまがとても愉快なのだが、見せられないのが残念だ。
(VTRをDVDに焼くまでは出来たのだが、それをWeb上に公開する方法がいまだに解明できないのだ)
 3曲目のユー・キャント〜では、オリジナルのキーがGなのに対して、イントロが始まった後にキーをEまで下げていることに気付き、慌てて合わせた。おかげでかなり低い音域で歌うことになったが、何とか切り抜けた。ホスト・バンドのひとがコーラスもかっちょ良く付けてくれたので、「気分は最高」であった。ビートルズのふるさとで歌いたいという私の長年の夢が叶った瞬間であった…。
 客の反応が思ったより良かったからか、バンマスのレイ氏は「次の店にも出てくれ」と申し出てくれた。
 次の店の出番はPM11:30〜だった。
(写真が見つからないのが残念。)いったんB&Bに戻って休み、出かけていったら、ここもさらに客がヒート・アップしていた。踊りたくてしょうがない、といった人々が「音楽はどうした?バンドはまだか?」と叫んでいる。これだよ!これがリバプールなんだよ!!
 歌い始めたら、みんな日本から来た若者を盛り上げようと、踊りまくってくれた!ビール瓶が床に落ちるわ、グラスが割れるわ、テーブルに載って踊る奴はいるわで、大騒ぎだった。見れば、客中に例の「やすお」の姿が!「オランダにも歌いに来い!!」というのでYESと答えた。(まだ実現していないがね。)他の客からも握手を求められたり、すごい巨漢が「ShitHot!!」(我々には「シッホッ」と聞こえた)「Uno」(1番!という意味か?)と叫んでいた。T氏は、アンディ・ガルシア似のリバプールの若者としんみり何か語り合っていた。みんな、本当にいい人ばかり。これが、本当のリバプールなんだ…
結局宿に戻ったのはAM4:00。まさに夢のような一日だった。(3枚目の写真は「ミニー・ザ・ムーチャ」を熱唱する謎のオヤジ。めちゃくちゃうまかったっす。)