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1994年8月。1回目の渡英・・・


 8月19日(金)。
 とうとうこの日がやって来た。わたしたちはニューキャッスルから西へ数百キロ、リバプールへと向かったのである。朝早く出発して、到着したのが昼過ぎであった。午後2:30から出発する「マジカルミステリーツアー」に参加すべく、我々は港近くのバス停で車を待っていた。そこに現れたのが…そう、このバスである。レコードのジャケなどで確認してみると、フォグランプの有無などの小さな差はあるが、本物のバスと同型・同年代だと言うことが分かる。これに乗れるだけでもすごいことではないか!!と感動していたら、一人のオランダ人青年が近づいてきて「このバスの乗り場はココでいいのか?」と話しかけてきた。Yesと答えた後、「お前、チケットはもう買ったのか?」と言ったら青い顔をして慌ててチケット売り場に走り去っていった。T氏はそいつの後姿を見送りながら、「俺の親戚の『ヤスオ』に似ている」と言い出したので、彼はこの後『ヤスオ』と呼ばれることとなった。(本名はもちろん知らない)
 このバスはリバプール市内のビートルズゆかりの地をぐるっと周遊してくれる便利なバスなのだ。車内には終始ビートルズの曲(「ペニーレイン」ばっかりだった記憶があるが)が流れ、最高の雰囲気だった。

 しかし、悲劇はすぐに訪れた。このバスが有名なペニーレインのラウンアバウトに差し掛かったとき、ブレーキの調子がおかしくなってしまった。わたしたちはパブに案内され、飲み物をおごって貰いながら待ったが、ついに回復せず、別のバスでその後を回ることとなった。うーん、残念。でもペニーレインのオープンカフェで、青い空の下で飲んだコーク、忘れられない思い出だ。このときヤスオはわたしたちの案内人、クレアにやたら親しげに話しかけていた…。わたしたちが夜このリバプールで演奏するのだ、と言ったら「うそこけ」といった態度だったので、「この野郎、嘘だと思ったら見に来いよ」、と、「とっても優しく」言っておいた。


 この写真は「ペニー・レイン」の歌詞に出てくる。
♪Behind the Shelter in the middle of the round-a-bout…「ラウンドアバウトの真ん中にある停留所の裏に…」という下りの停留所だ。(白い建物のことね)もしかしたら、世界で一番有名な停留所かもしれない。
 近くには「床屋」や、「消防車」や、「雨なのに合羽を着ない銀行員」や…そんな物語の登場人物がいそうな気分だ。この通りを中学生くらいのジョンやポールが歩いていた景色を想像して欲しい…いまでも胸がわくわくしてくる。その通りにこうして自分が立てた感動といったら無かった。彼らと同じ空気を吸えただけでも来た甲斐があったというものだ。

 下の写真は、世界で一番有名な標識の前のT氏。初めはプレートで取り付けてあったのだそうだが、相次ぐ盗難事件でついに壁に直接書き込む方式に変えたのだと言う。そうだろうな。わたしだってもしここにプレートが貼ってあったら、夜中に来てはがしていく程欲しくなる気持ちは分かる。(良い子のみんなは真似しないでね)わたしはうっかりして、T氏の写真は撮ったものの、自分がこの場所で記念撮影をすることを忘れてしまったので、こんなベスト・ショットがないのだ。ヤスオもココで記念撮影する様子がVTRには写っている。が、悔しいから載せてやらない。
 
 3枚目の写真は…そう、リンゴ・スターのアルバムのジャケ写真に使われたパブである。この右手にディングル地区の集合住宅がある。後で他の3人の家を紹介するが、とにかくリンゴの家の地区が一番貧しい地区だったことが良く分かった。通りも狭く、道もなんとなく薄汚れて…しかし、このパブだけは(営業はしていないようだったが)「世界一有名な(しつこい?)パブ」になれたのではないだろうか。えらいよ、リンゴ。「故郷に錦を飾る」って感じだっただろうね…。