2008年1月
「チョーク・ワイパー・メーター」の巻

あけまして、おめでとうございます。
 今年もこの「S800かげろう日記」をよろしくお願いいたします。
 文字通り、かげろうのようにはかない記事ですが、細々と更新を頑張りたいと思います。

 さて、年末にかけてエスは大きな山場を迎えているのだ。それは・・・
 
1 キャブレターのオーバーホール。
  2月末に完成予定。これで油漏れが止まれば良いと思う。
 
2 ダイナモのオルタネーター化。
  部品を入手し、初のラジエター脱着に着手する予定。
 これらの二つは、毎日エスを安心して走らせるためにいつかは通らねばならない道であった。なんとかこの山場を無事に切り抜けて、また調子よいエンジンサウンドを聞かせて欲しいと思っている。

 さて、今月のネタは小ネタではあるが、メカオンチの私としてはこれでも楽しめたので書きとめておこうと思う。
 まず、未使用のスピードメーターとワイパースイッチを手に入れたのだ。国内だと結構なお値段なのだが、両方ともまあ我慢できる値段で入手できた。なぜ安いのかというと、たぶん海外では左ハンドル用のほうが需要があるだろうし、日本人はだれも好き好んでマイル表示のメーターを欲しがらないだろうから、ちょうど「穴場」なのだと思う(笑)。
 スピードメーターには、このような注意札が付いていた。トリップメーター(積算計)の使い方だ。こんなものが付いているということは、補修用の部品に違いない。ワイパースイッチも未使用で、表示の白文字もくっきりしていて気分がいい。今までのスイッチはだいぶガタが来ていたので、交換することにする。

 そこで思い出したのが、5年前に購入して屋根裏に放置してあったチョークワイヤーの存在である。
 当時、私は自分のエスのチョークワイヤーの皮膜が裂けていることを気に病み、新品を入手したのだが、不幸なことにマークがCマークではなかったのだ。しかし、その直後にCマーク入りの新品が手に入り、チョークマークのものはすぐにヤフオク行きとなったのだった。
 いつか取り替えようと思っていたのだが、別に今のものも使えぬわけで無いので・・・と思っているうちに5年も経過してしまった。まさに機は熟した。ワイパースイッチを交換するなら、ついでにこれも交換すべきだろう。

 さて、まずはチョークワイヤーをエンジン側で外し、先に紐を巻きつけて屋内側に抜けるようにする。こうすれば、後で新しいワイヤーを通すのが楽だと思ったのだ。
 次に、センターパネルを止めている4本のねじを抜き、パネルを外す。ライトスイッチの箱が大きくて、抜くのに苦労したが、何とか取り外しできた。それにしても内部はほこりだらけで汚い。40年分の埃か?
パネルの裏側からねじ止めされているチョークワイヤーを外し、ワイパースイッチもハーネスから分離。これで準備は整った。古いスイッチを抜き取ったら、裏の埃を掃除して、新しいスイッチを組み付ける。パネル側には切り欠きがあるので、取り付けの方向に迷うことは無い。すぐに取り付けは終わる。チョークワイヤーは、先ほどの紐を新しい方に付け替え、今度はエンジンルーム側から引っ張ってやる。すると、先っちょの輪(チョークレバーに引っかかる部分)が顔を出し、すぐに取り付けられるというわけである。
 その後、元通りにパネルを戻し、通電確認。ワイパーもしっかり動くし。チョークワイヤーも機能を果たすことを確認。ノブの白文字もくっきりしたので、非常に気分が良い。

 次に、スピードメーター交換である。
 これにはまずハンドル外しからである。
 その後、メーターパネルを取り外し、タコメーターとスピードメーターのケーブルを外す。これで作業がしやすい。
 スピードメーターは他のメーターと違い、トリップメーターの戻しノブが付いているので、表側の穴から入れることが出来ないのだ。なので、この左の写真のように、カバーだけを取り外し裏側よりセットし、その後再度カバーを取り付けるという面倒な手順が待っている。
 外してみると、今までのメーターにはかなりの埃が積もっている。これはお金に余裕があるときにオーバーホールにでも出し、いっそ文字盤をキロ表示に変えてみようか、という野望もあるのだ。しかし、これには万の単位で金が必要、しばらくはわが書斎のオブジェと化していただくことになるだろう。

というわけで、
メーターだけ新車に戻ったわがS800(笑)
 念のために書いておくが、これは巷にあふれる中古車の「メーター戻し」ではないのでよろしく。第一、1966年製の車の走行距離が400メートルって・・・ありえんでしょう。
 次の更新は2月頭の「オイル交換&オルタネーター取り付け」の予定。、乞うご期待。


2008年2月
「オルタネーター交換!」の巻

とうとう、この日がやってきた。
 長年私を苦しめてきた「電力不足」の大問題。
 冬になると、毎週のように充電器セルスター君のお世話になる生活。
 しかし、それとももうおさらばである。
そう、ダイナモ君を、IC付きオルタネーターに換装する日が来たのである。

 土曜の午後、作業は静かに始められた。天気予報は午後から雪。しかし、まだ雪は降ってはいない。いま始めなければ…
 ボンネットのヒンジのピンを抜き、FRPボンネットを外す。意外と重いものだなあ…置き場に困り、濡れ縁に立てかけておいたら、突風が吹いて倒れやがった!!
ぎゃああああ!!いきなりの赤信号である。無残に傷ついたボンネット。しかし、ここでひるんではいられない。倒れたボンネットを元に戻し、今度はラジエターの撤去に。電動ファンとホース類は簡単に外れたが、シュラウドと冷却ファンが干渉し、外すのはなかなか難しいものだ。しばらく格闘し何とか取り外す。続いてキャブレターを。こちらはもうだいぶなれたのであっという間に撤去。このころ、空からちらほら白いものが降り始めたのである。
 いかん!急がなければ…。とりあえず、ラジエターをシュラウドを分離し、洗えるだけ洗って乾燥させて置く。そしていよいよ本丸、ダイナモの撤去である。こちらは、ボルト2本を外すだけなので、意外にも簡単に終わってしまった。
 新しく付いたオルタネーターは、大きさが元のダイナモよりも小さく、かなりの軽量化に寄与していると思われる。しかも、レーシング等にも使用されている、
ちゃんと9000回転(S800ののリミットは8500)に耐えうるものを見つけてもらったので、使用上の問題は無い。
 ここまでで一日めの作業は終了。
(上の画像にターンオーバー機能をつけてみました。使用前/使用後を見てくだされ。)
作業2日目。
 この日は夕方から佐野元春のコンサートに出かける予定があるため、急いで開始。
 雪が止んだので、外したシュラウドとラジエターを軽く補修塗装。そのまま戻したのでは芸が無いので…。
 なんとなくいい感じに乾いたところで、ラジエターを元に戻し、各ホース類を接続。その後、水を流し続けてラジエター内部を洗浄し、冷却水を再充填した。
 キャブレターをセットし、配線を確認。レギュレーターをスキップするための短い配線を目立たないようにつなぎ、これで準備万端整った。では、点火してみよう。
 エンジンスタート。
 すばらしい。配線トラブルがちょっとあったが、修正したらばっちり発電を始めた。それもかなりの効果である。
 ボンネットを戻し、近くのオートバックスまで走ってみたが、停止してアイドリングになってもアンメーターはマイナスには絶対にならない。今までならば確実にマイナス方向に振れ、ウィンカーやワイパーが減速する場面である。さすが、新しい発電装置の力である。
 夜間走行もしてみたが、ライト類の灯りは安定し、見やすきことこの上ない。まして、安全にかかわる部分だけに、これはすばらしいことである。

 これで、しばらくは電気関係の悩みを抱えることは無いのではないかと、期待している。
 反対に、キャブレターのオーバーホールは、30Fキャブの状態があまりに悪く、各種修正を加える必要に迫られたため、3月以降にずれ込むこととなった。まあ、お借りしているキャブの調子が良いので、ぜんぜん問題ないということで(笑)ゆっくり待とう、と思う。
次の課題は、電動ファンを自動に動かせるコントローラーを設置するかどうかであるが、今のところ走行中はずっと入れておいても問題なさそうなので、ゆっくり考えてみたいと思う。いかんせん、年度末が近づいて資金が底をつき始めたのである(笑)。お安いところで、ラジエターのリザーブタンクを自作、という程度にとどめておこうと思う。


2008年5月
「フロント・ボンネット再塗装!」の巻

経年変化?フロントの塗装が浮き上がってきた。
 旧車の宿命ともいえることだが、ボディの腐りなどを考えると、きわめて憂慮すべき問題である。下の写真のように、塗装面が下地から浮き上がり、ひび割れてしまった。このひび割れから水分が浸入し、確実に下をさびさせているであろう。
 さらに、ライトハウジングの横には、まるでひげのような形状に同じく亀裂が入ってしまった。
 この部分は、数年前、事故による鉄板切り継ぎを行った部位であり、そのひずみなどが集中して引っ張られた結果、塗膜が剥離してしまったものと思われる。
 昨年屋根の補修塗装を行ったが、そこだけが妙に明るくきれいになってしまったため、かえってボンネット側の艶のなさが目立ってしまう結果にもなった。 そこで、昨年お世話になった塗装工場、TPB(タキペイントブース)にお世話になり、再塗装することに決めたのである。

 再塗装するとなると、一番やっかいなのは部品の取り外しである。とにかく外せるものは外してから塗るのが一番であるが、エスのように部品がもう無い状態の車だと、万が一外す際に曲げてしまったり不具合が生じたりすれば、もう交換する部品がない、ということにもなりかねない。
 そこで、今回はなるべくそのような危険を冒さないような作業をお願いしたのである。
 塗装する部位は、ボンネット全体と、フロントモールから内側に限定した。こうすれば、色の変化の不自然さを隠すことが出来ると踏んだのである。
(全塗装するお金が無かっただけ、という話もあるが・・・)
 塗装をはがしてみると、はやり右側はかなり上の方まで錆が回っていることが分かった。画像のようにかなり上の部分まで塗装をはがし、下地からやり直してもらうこととなった。左側はそれほどひどくは無かったようで、ひげの部分を中心に塗装しなおすこととなった。また、ボンネットは前回オルタネーターを交換時に風で倒してしまい傷だらけであったが、これも表面を修正し再塗装して色を合わせてもらった。
 これがマスキングされた状態である。
 前回塗装したAピラー部分をうまくぼかしつつ、モール内側を塗っていることが分かるであろう。
 ボンネット上も、一番傷がひどかった部分は修正されているのが見える。ライトに照らされたこの景色、なんだか幻想的な雰囲気である(笑)。

 ついでに、右ドアの建て付けがずれて、しまりが悪くなっていた部分も直してもらった。ありがたいことである。また作業中の写真もこのようにしっかり残してくれていたのがうれしい配慮であった。もし近隣の方で、車を板金塗装する用事がある方は、ぜひTPBをたずねていただきたい。ちなみに店主は私の小学校中学校の後輩に当たるのである。

さあ、これでまたエスとの生活が始まった。
 次の課題は、ラジエターのオーバーホールをするかどうか、そして、電動ファンをシュラウド側に変更するかどうかであろう。夏のボーナス頼みで考えている。また、毎年恒例の夏の点検も。また岩佐さんに頼もうかと考えている。
 6年目の夏。なんとか無事に乗り切りたいと思うoyoyoであった。


2008年6月
「30Fキャブレター復活!」の巻

お借りしていたキャブのフロートがパンク。
 これにより、ガソリンのオーバーフローが起きてしまったのだ。
 この故障は良くあることらしい。私にとってははじめての体験である。
 ある日、職場の駐車場に車を停めようとすると、なんだかガソリン臭い。いや、いつもそこはかとなくガソリン臭い車ではあるのだが。いつにもまして臭いのだ。
 これは絶対おかしいと思い、ボンネットを開けてみると、キャブ周りが水でも撒いたかのように濡れている・・・
ああああ!がそりんがあああああ!!!

 この原油高の昨今、ハイオクガソリンを惜しげもなく撒き散らしながら走るほど、私は裕福な男ではないのだ。これはかなりの量を撒きながら走っていたに違いない。それに、金以前の問題として、もし引火したら命にかかわりそうである。キャブを取り外してみると、3番チャンバーのフロートにガソリンが入り、浮かなくなっていることが分かった。

 とにかく、その日から車の使用を中断し、バイクでの生活を送ることとなった。
 辛かったのは、その期間に大きな会議への出張が重なったことである。背広の上にレインスーツを着込み、革靴にはブーツカバー、暑苦しくも湿気っぽい格好で会議に到着し、周囲のおえらい方々の失笑をかってしまった。
 取り外したフロートだが、穴の位置など目視では全く分からない。だか確実にフロート内でちゃぽちゃぽガソリンの音がする。きっと、ピンホール的に小さい穴が開き、そこから徐々にガソリンが浸入するのであろう。ということは、この日に急に調子が悪くなったのではなく、数ヶ月前から徐々に悪くなってきており、この日に止めを刺されたというわけなのだろう。

 いつもお世話になっているゆーらしあ様にフロートを注文し、交換してみることにした。街乗り用のセッティングを教えていただき、それにあわせてフロート高さなどを調整。
試運転してみると、この前までの「生ガス・パンパン」が嘘のように収まった。やはり、狂ったセッティングのまま数ヶ月乗ってしまったということだろう。
 こうして生まれて初めてのフロート交換&調整を終えたのである。

 さて、そうこうするうちに、私のキャブレターもOHが終わり、帰ってくることになった。
 
 数カ月がかりで完成した今回のオーバーホールは、Sの世界では知らぬ方はいないであろう「超有名人」に依頼していたのである。多忙な方なのに、とても気さくな方でもあるのだ。そんな方に、こんな面倒な仕事を快く引き受けていただけたのはまさに不幸中の幸いであった。前回のオルタネーターの件も含め、今年私がエスを維持できるのはこの方のおかげといって過言では無い。
 
本当にありがとうございました!
 今回の修理の最大の困難は、もとのキャブボディーが再生できぬほど痛んでいたことによる。フロートのホルダーは破損し、ジェット類は腐食して・・・結局は中古の同タイプ部品を探していただき、ヘリサート加工などを施し、パッキン類を交換し・・・わが30Fはついに生まれ変わったのである。
 
 車に搭載し、早速走ってみると、お借りしておいた30Fよりもさらにパンパン音は激減し、エンジン音も軽く乾いた音に変わっていることに気付く。3番のプラグの焼け具合を見たが、まさに理想的な
「こんがりきつね色」をしていた。
 また、エンドパイプにも変化が。今までは排気口に黒いススがたまりにたまって汚れていたが、換装してからはすすが減り、外観も焼けた感じの色になってきた。素人考えだが、排気温度が上昇しているのではないだろうか。これが、あのエンジンの乾いた音と連動しているのではにかと思う。

エスに乗る以前、本で読んでいた頃に、「キャブレターなど補器類のトラブルで不動となるケースが多い」などと書かれていたことを思いだす。やはり、調子がおかしくなった時にもっと早く見てもらうべきであった。
 次は、毎年恒例の夏の点検である。いつものように夏休みにガレージイワサ様に持ち込もうと思っている。


2008年8月
「ホンダコレクションホール探訪!」の巻

お盆休みを利用し、念願のコレクションホールに。
 自宅から40分ほどの病院で胃の検査を受けた後。残った時間がもったいない。
 せっかく遠くまで来ているのだから、このまま国道50号を東に向かえば、栃木県である。
 栃木といえば、ツインリンク茂木。茂木といえば、「ホンダコレクションホール」である。数年前、突発的に訪れたら閉館中だった苦い思い出が(笑)。とりあえず、行ってみることに。

 窓から入ってくる風はもはや夏の風とはいえないほど涼しく爽やかである。(信号で停まればまだ十分暑いが・・・)8月も末となればエスに乗るのも相当楽になるのだ。
 佐野藤岡ICから東北道へ入り、都賀JCTから益子へと向かう。時間節約のためだ。現地に着いたのはちょうど昼を過ぎた頃であった。

 世間は平日とあって駐車場はガラガラ。南ゲートでおねえちゃんに入場料金と駐車料金合わせて1800円も支払う。そこから山を一つ登る感じで入っていくと、すぐにコレクションホールの建物が見えてきた。すぐ脇の駐車場もがら空きだったので、すんなりと駐車。早速見学させていただくこととしよう。

まず入り口を入ると、大きな輪のモニュメントがお出迎え。みると真ん中にはめられたガラスには
「夢」の一文字。いわずと知れた本田宗一郎氏の筆である。そう、本田は夢を作る会社なんだヨネ。と改めて納得しながら入る。輪の向こうにはいきなりTとF−1。その向こうにはNSX。すごい取り合わせである。右方向に向かうと、レストア作業をする部屋が見える。この日はなぜかシトロエン2CVが入っていた。後でも出てくるが、バイク展示でも他社のものを展示してあったので、歴史的に重要な車はホンダ以外もレストアしているのかと思う。

 その部屋にはスーパーカブが年代順に展示されていた。おりしも50周年記念モデルが発売とあって、盛り上げているのであろう。また、昔懐かしいシビックも展示されていた。私が小学生のときに来た我が家の懐かしい愛車が、そのシビックであった。ノスタルジックな気持ちになる。母親が初めて運転して赤城山に登ったとき、
「下りはエンジン切って行けばガソリンが要らないんじゃない?」
と素朴な質問をし、真に受けた母がエンジンを切ったらとたんにブレーキが効かなくなり、危うく事故を起こしそうになったのを今でもはっきりと記憶している(笑)。

 さて、中央吹き抜けの階段を上り2回展示室へ。南側には市販2輪の展示室。払い下げた無線機用の発電機エンジンを使った例の自転車用エンジンなど、ホンダ創世期のバイクが目白押しである。

 ベンリイ号や、ドリーム号などいろいろな名車が展示してあり、個人的にはCB750やCB400が好きなのでじっくり見てしまった。今は亡き我が愛車スパーダもあって懐かしかった。
 2階北半分は市販4輪のコーナーである。
 当然、エスもあるのであるが、それ以外にもN360、L700や、1300などが展示されている。


 Sは毎日見ているので感動はあまり無い(笑)のだが、L700なんか実車を見たのが初めてなので、感動して写真を撮りまくってしまった。まったく個人的なことだが、このワンダーシビックも、私が初めて免許を取って乗った車であるので、懐かしさ120%である。今見ても斬新なデザインだ。名車エスと同じフロアに展示されても遜色ない車である!

 3階にあがると、まず目に入るのがカーチス号である。宗一郎氏が製作した、カーチス(飛行機)エンジンを使ったレーシングカーである。写真は見たことがあるが、現物が残っているとは思わなかった。

 すごい。足元に覗く飛行機エンジン。バルブまで丸見えである。こんなのを運転していたのかと思うと思わず笑いがこみ上げてきてしまう。
 3階はレース用車両展示室である。2輪コーナーでは、かつてのレーサーの名車がたくさん展示されている。懐かしいカラーリングのバイクもたくさんあり、うれしい限りである。
 途中で、バイクのエンジン音を聞かせてくれる機械がある。ヘッドフォンをして、聞きたい車種のボタンを押すと、実際のエンジン音が聴けるのだ。迷わず、60年代の6気筒レーサーのボタンを選択。いや、すごい音だ。ぶち壊れそうな激しいエンジン音。しかもふけ上がりが鋭く、耳にくるような高周波。すばらしい。エンジンの中身まで見えてきそうな音である。反対に2ストのエンジン音は改めて録音で聴くとなんだかパリンパリンしている。このコーナーだけでも十分20分は楽しめる。

 4輪コーナーでは60年代の第1期F1マシンから、ターボ時代=中嶋時代の第2期、そして第3期=佐藤琢磨時代のF1まで一気に見ることが出来る。
 カウルに包まれてしまったF1よりも、60年代のいわば「エンジンむき出し」の車両の方がやはり見ていて飽きないのは当然だろう。あの時代のものにして、使われている部品や各部の様子を見ると、手の込んだ、芸術的な仕上がりをしていることが分かる。最近の車の、プラスティッキーな感じではなく、一つ一つ鋳造しました、見たいな部品がたくさん使われているのが、目にやさしいのかも知れない。特にこのV12エンジンのエキゾーストパイプ。互いに干渉し合いながら、最大の出力が得られるように設計されたこの曲線美。なんといって表現したら良いのであろうか。何時間見ていても飽きないとは、まさにこのことを言うのではなかろうか。
 
 新旧市販車ベースレーシング対決。比べて見ると、シビックに比べてなんとエスの小さいことよ。
 日ごろ乗っているとその小ささに慣れてしまうのだが、改めて比べてみると、まるでおもちゃのように小さいことがわかる。しかし、小さくてもそこにこめられた熱意には差が無いのである。

 帰りに、お土産コーナー(あえてミュージアムショップとは呼ばないで置こう)でミニカー一台と帽子を調達。わざわざ帽子を購入したわけは、窓を全開で走行したら髪の毛がぼっさぼっさになってしまったからである(笑)。


2008年10月
「さらば、S800!また会う日まで…」の巻

突然だが、6年間連れ添ったエスを手放す決心をした。
 もちろん、いろいろ考えた上での決心なのである。
 我が友エスはこれまでの6年間、故障して動かない期間を除いてほぼ毎日、私の足となって雨の日も、風の日も、そして
雪の日まで働いてくれたことは皆さんもご存知の通りである。
 が、このことが、老体エスにとってはかなりの負担だったに違いない。今年夏の点検では、フロントロアアームがガタガタになっていることを指摘されたり、ドライブシャフトベアリングを交換したりという大掛かりな修理を受けたばかりか、エンジンオイルの消費も増え、デフのケースからはオイル漏れと、いよいよまた多少の手術が必要か、といった状況になったのである。そして、10月には、走行中に突然電気系が落ちるという、不可思議な故障にも襲われ、いよいよ「隠居か?」という声も聞こえてきたのである。

 もし、私が車を2台所有し、エスを週末の楽しみに温存し、軽自動車で日常生活をやり過ごす、というような状況が許されるならば、それがベストの選択肢であっただろう。しかし、我が家にはそのようなゆとりも土地も無いのである。かといって、エスをもう一度しっかり整備して、あと5年何の心配もなく乗れる状態に戻すとしたら・・・。こちらには何十万単位のお金がかかることも、否定できない事実なのである。
 ここで、これからの生活のことを冷静に見つめなおすことにしたのだ。
 少なくとも私は、6年間、家族にわがままを通して、まったく実用性に欠けている趣味の車に乗らせて貰っていた。故障はそう多くはなかったとはいえ、毎年の点検整備や部品代などで家計を必要以上に圧迫していたことは紛れも無い事実である。これ以上、そのようなことを続けてよいのだろうか?まして、それがエスにとって本当に良いことなのだろうか?と・・・。

 そして出した結論が、エスを手放し、次の方に譲ろう、という結論であった。
@ショップに売れば、自分の当座の車は手に入るような値段で買ってもらえるだろう。
Aショップは、私のエスをまたきれいに仕上げ、今の状態よりも格段に良い状態にしてくれるだろう。
Bそれを300万あたりで買った人は、きっと雨天未使用で大切に乗ってくれるだろう。

 これが、私の「気持ち」を除外すれば、現時点でのもっとも良い方法であろうと。
 特に、私のかわいいエスがさらに「長生き」するためには、ヤレた部分のOHは欠かすことが出来ないだろう。しかし、私にはそれをこなす財力も知識も無いのであるから。次の人に、なるべく良い状態で引き継いでいただくこと、これが、私に残された最後のエスへの「愛」であろうと。

 10月13日。エスで最後のドライブに出かけた。いままでエスで通った思い出の道を一周しようとおもったのだ。関越道から東京に出て、東名高速で箱根まで。そして、箱根から山梨県山中湖・河口湖へ。最後は雁坂峠を越えて埼玉県秩父市へ。何度となく通った道である。その間、エスは最高の音を奏でながら、私を乗せてどこまでも走ってくれた。一日で450キロ、今までの最高記録だった。

 そして、運命の10月15日。私はガレージイワサにエスを持ち込んだ。
 あっけないほどの幕切れだった。しかし、後ろ髪引かれる思いを断ち切り、私は振り向かずに帰りのバスに乗り込んだ。振り向けば、また「エスに乗りたい」という思いに駆られるのが分かっていたからだ。

 ちょうどその日、修理を終えたエスを受け取りに来た男性と居合わせた。他のショップで買ったエスらしいが、ちゃんと塗装や内装、エンジン整備をやり直し、絶好調になった黄色い800であった。
 オーナーは今までもたいした距離は乗っていなかったそうだ。ぴかぴかに仕上げられたあのエスは、また、あの方の家のきれいに整頓されたガレージに収まり、幸せな余生を送るのだろう。願わくは、私のエスも、あのようにきれいに仕上げられ、優しいオーナーの下で余生を送らんことを…。


 こうして、私の人生の「第1期エス800チャレンジ」は幕を閉じた。
 思えばいろいろあったが、本当に楽しく、充実した日々であった。
 多くの人と出会い、そして、助けていただいたことは、今でも昨日のことのように一つ一つ鮮明に覚えている。この場をお借りして感謝の言葉を申し上げたい。また、どこかでお会い出来る日が来ることを心から願っている。

 そして、私のエスへのチャレンジはこれで終わったとは思っていない。
 10年後、いや、20年後かも知れないが、再びエスを手に入れたいと思っている。団塊の世代の方々が、今、エスを手に入れて少年時代の夢を叶えているように、私ももう少し大人になり、ゆとりが出来たときに、今までとは違ったエスとの付き合いが出来るようになったら・・・。
 今度は、オープンのエスを手に入れようと、今からわくわくしている。

 その日まで。さらば、エスよ。熱い日々を、ありがとう・・・。

To Be Continued...