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1994年8月。1回目の渡英・・・

8月25日(木)
 ニューキャッスルをバスで出発し、ロンドンに帰ってきた。いよいよイギリスで過ごす最後の1日だ。
 バスが到着したビクトリア・コーチ・ステーションに荷物を預け、最後の散策は各自で自由に動くことに。私は特に何を見るでもなく、イギリスの町の風景を最後に眺めることにした。
 街角には大道芸人が立ち、独楽のようなものを高く投げ上げるパフォーマンス。散歩がてらショッピングをして歩く市民たちは、みんなどこも飾り気がなく、自然体である。日本の都市、例えば東京などで、ぎょっとするような服装をした若者を目にすることが多い昨今であるが、欧米のこのような都市では、めったなことではそういう御仁には出会わぬものである。
 はとが集まっている広場に出る。遠くには、ビッグベンが聳え立っているのが見える。その前で一人の女の子が、手に持ったえさに群がるはとを手にたくさんとまらせてはしゃいでいる。なんと平和な風景だろう。思わずシャッターを切る。
 いつかまた、この町を訪れることができるだろうか。ふとそんなセンチメンタルな気分がよぎる。
 日本に帰れば、また仕事、仕事に追われるめまぐるしい毎日が始まるのだ。もしかしたら、もうこんなに長い休みを取ることは不可能なのかもしれない。大人になって年をとることは、自由なお金が増えることだと思っていたが、実際は「責任」という荷物が増えて、どんど不自由になっていくことなのかもしれないな…そんなことをふと、考えていた。
 フライトの時間が近づき、私は当てもない散歩を止めて、またまたコーチステーションに戻った。
 いよいよ、タイム・オーバーである。
 いざ帰らん、ふるさとへ…。

 もちろん、帰りの便もマレーシア経由である。
 今ならそんなことは絶対しないだろうが、当時は一円でも安くしたかったのだ。
 帰りの便は、トランジット(乗り換え)時間が長く、予定ではクアラルンプールで一泊分ホテルでも見つけて泊まろうと考えていた。空港からいったん外に出たのだが、実は空港は街中から遠く離れており(当たり前だよね!街中に空港があったら大変だもん)空港前にはタクシーが死ぬほど停車中。しかも怪しい日本語で「イイトコアルヨ、ノッテノッテ」的なことを…ほとんどポン引きの世界だ。こんなところで身包みはがされてたまるかってんだ!!
 恐れを感じた我らは、仕方なく空港周辺をとぼとぼ歩き始めた。おなかも減ってきた…。店は一軒も見当たらない。すると、どこからともなくいい臭いが…それを辿っていくと、空港職員の利用する食堂にたどり着いた。無理やり入っていくと、非常に安く食べ物を売っている。身振り手振りで「入っても良いか?」と聞くと、どうもOKらしい。我々はここで偶然にも現地人との楽しいひと時を過ごした。食事も非常にうまかった。
 さて、ホテルを諦めた我々は、この図のごとく、空港のベンチで一夜を明かしたのである。これで熟睡できたのであるから、若さというものは恐ろしいパワーを秘めたものである。
 こうして、私の夢の第1章は幕を閉じた。
 そして、第2章につづく…