2004年11月「Hofner 500/1誕生日判明!」 

これは一体何を?
 これは、Hofner500/1の
お誕生日を知る唯一の確実な方法。
 いわゆる「デンタル・ミラー」(マツモトキヨシで300円也)を使ってボディー内部に(しかもトップ側に)押された日付のスタンプを見るという、恐ろしく面倒くさい方法である。

 いままで面倒くさかったのでやらなかったが、今日はあまりにすることが思いつかなかったので、挑戦してみた。

 最悪の場合、ポット類は交換されている場合もあるし、ネック自体が交換されている場合もあるらしいが、ボディーはいくらなんでも「交換」は出来ない。だから、これをすれば少なくともボディーの誕生日は特定できるわけである。もし、思っていたのと違う日付だったらどうしよう・・・と思いながら、鏡でスタンプを解読してみると…

 見えてきた文字は・・・「29 OKT 1963」であった。
 OKT?なにそれ?と思ったが、ドイツ語の10月はOktober。間違いない。
 1963年、10月29日生まれ、ということが判明したのである。

 以前、ポットの生産コードを見たことがあったが、フロント用が393であった。これは1963年の39週製造を示しているのである。
9月21日〜28日がこの39週に当たるので、製造日との関係も不自然ではなくなった。
 ここで浮上してくるのは、ポールのヘフナーは9月頃に手に入れた、という事実である。
 ということは、彼のヘフナーは少なくともこの203号よりは前に(8月や9月?)作られたということになる。
 ヘッドの形などからしても、前期型に間違いない。彼のポット生産コードが293であることもうわさされているので
(7月14日〜20日)、これも事実として受け止められる。
 前に、「ポールのヘフナーは198号よりも後に作られた?・・・」と考えていたのだが、ここで全面的に考えを改めることになった。
 今のところの結論は、「ポールのヘフナーは1963年の7月末以降に作られた」ということである。もしセルマーのシリアルが打ってあるとすれば、100(1962年末期)以降198(1963年10月)以前ということになる・・・。

 ちなみに、他の2台のヘフナーもあけてみたら・・・
 キャバーン・ベースの方は、デンタルミラーを使わなくても見えるところにスタンプしてあった。1994年1月20日生まれであった。
 私のところに来たのが7月頃だったので、半年かけてドイツから日本に渡ってきたのだ。フラット・バック仕様特有のブレイシングが見えるだろう。
 20/40の方は・・・一生懸命探したのだが、どこにもスタンプが押されていなかった。あるいはまだ探し方が甘いのか・・・。
 
 この2台は、限定モデルのシリアルナンバーが打たれているので、あるいはその方向から作られた日付を特定できるかもしれないが。


2004年12月「Selmerカタログ入手」 

 海外のオークションに出ていた、イギリスの楽器輸入販売会社「セルマー」のカタログを落札した。(
こんなのに入札するのは本当の変わり者である…
 これには、ポールが協力したHofner500/1の広告が掲載されているのである。たった(?)それだけの理由でこれが欲しかったのだ。裏表紙には、印刷されたのが1964年9月とあるので、その当時に楽器店などに配られ、お客さんに楽器の説明をしたり、注文を取ったりするときに使ったものだろう。出所はイギリスのエセックス州のお方である。メールでやり取りしたところによると、

「64年当時、私のヒーローはポール・マッカートニーであった。もちろん、へフナーも持っていた。」
ときたもんだ。年齢的にはきっと50代から60代であろう。
 とにかく、イギリス人はこのようなものを大切にする気風に恵まれている。「ナショナル・トラスト運動」ではないが、文化遺産を非常に重要視するその考え方は、日本人とも共通するのでは…と常々思っているのだが。同じ「島国」だからだろうか・・・。

 中身を見てみると、非常にきれいに保存されていたのがわかる。どんないきさつでこれをお持ちだったのかは知らないが、40年前の印刷物としては異例なきれいさだろう。この人は、ほかにも古いイギリス車のカタログも出品していたので、そういう性格の方なのかもしれない。 


 これが、そのポールのページである。
 当時、「バイオリン・ベース」という正式名称で売られていたこのへフナー500/1。店先では、この絵のようにポールの顔入りのタグがつけられ、
「このベースを使っての君たちの成功を祈る!」
なんて言葉が添えられていたのだ。この言葉につられて?何人がこのベースを買ったことだろう。まさに、われわれの高校生時代のフェルナンデス「ボウイー布袋モデル」的扱いである。(うーん…懐かしい…)
 写真を見ると、ネックにバインディングがなく、ロゴもまだレイズドロゴ(プラスチック製の立体ロゴ)ではなくデカールのロゴなので、楽器の写真自体は1963年型を使用しているのがわかる。1964年には、ネックにバインディングが入ったはずだ。もちろんより豪華にするための方策だろうが、現在ではバインディングが入ると値段が半額以下になるから皮肉だ。

 この当時の値段が55gns。有名なセルマーケースが8gnsである。1ギニーは21シリング。20シリングが1ポンドだ。当時の値段は55×21=1155シリング=57ポンド75シリングだ。
 当時のAC30アンプが110gnsだからその半額。
 今現在、新品のVox AC30アンプは約20万から25万という値段だろうから、その半額の、およそ10万円といったところか。
非常に廉価なベースだったことがわかるだろう。初心者が気軽に(?)買える値段の楽器を、超人気ミュージシャンがステージで使っていたのだから、今考えると、ポールって変わった人だ。


 ちなみに、同じカタログ内のフェンダーのベースはというと・・・
 ジャスベが155gnsである。単純に考えると3倍の値段だ。30万といったところか。当時のイギリスの関税の高さが、アメリカ直輸入の楽器の値段を相当吊り上げていた様子がわかる。これでは、ジャズベースを買えないイギリスの当時の若者たちが、成功を夢見てドイツ製へフナーの楽器を次々購入していたのもうなづけるというものだ。

 ほかにも、ビグスビーのページがある
 ジョンが自分のリッケン325の
へなちょこビブラートを取っ払い、ビグスビーに取り替えたのは有名だが、このような単品部品を買ってつけたのだろう。これを読むと、あの付属品の「蝶タイブリッジ」には
「ロッカー・アクション」ブリッジ
という名前がついていたことがわかる。「トレモロを動かしても弦によって痛まない」という説明があるので、ジョンもこれを信じて自分のリッケンのローラーブリッジ(このほうが削れないと思うが・・・)を蝶タイに換えたのかも知れぬ。


2005年 1月 「Hofnerのテールピース」 

※あまりにカルトで申し訳ありません。
 以前から、リイシューのへフナーのテールピースがなんとなく不自然に見えて仕方がなかった。ブリッジ側が妙に間延びしているように見えたのである。
 ポールのへフナーの写真を見てみると、テールピースの中間にある
「仕切り板」(?)状のものはほぼ中央に位置しているように見えるのだ。しかしリイシューのテールピースはブリッジ側が長く、テール側が短く見える。今回はそれを実測してみることにした。

 左の写真は毎度おなじみ63年製である。テールピース全体の(バーの部分まで)長さはリイシューと同じ
約10.1cm。いわゆる「ロン・バケ」ならぬ「ロング・テールピース」の長さである。
 前半部分だけ(中間の仕切り板まで)が
約5.8cm。最下部の板の部分が2cm加わると、全体が12cmのうちの約半分の位置に仕切り板があることがわかるであろう。
 右の写真は、95年製20/40君である。
 全体としては非常によいリイシューなのだが…。このロングテールピース、全体の長さはほぼ同じ10.1cmながら、中間の仕切り板までが「
約6.2cm」あるのである。

 ほとんどの人は
「4ミリくらいなんだよ!ほっとけよ!」
 と考えるであろうが、真ん中の空間部分(10cmから、弦を止める板の部分1.8cmを差し引いた部分)は約8cm。そのうちの4ミリといえば、約5パーセント。
あの消費税の「総額(内税)表示開始!」くらいの違いなのである!
 ちなみに、左には2つを並べて表示してみた。左がOLD,右がNEWである。
 結構印象が違うでしょう?さらに、
3本の細い棒の長さもぜんぜん違いますよね
 境い目の板が4ミリずれた分、細い棒も4ミリぐらい延長されています。棒の間隔も狭くなったのですね。

 昨日までは何も感じなかった人でも、これにいったん気がつくと、もう
その差が気になって気になって、夜も眠れなくなり・・・というほどではないが、
「完全なリイシューを目指しておきながら、何でここまでちゃんと計ってくれなんだ・・・ツメが甘いぜよ、へフナーさんよお・・・。(泣)」
 と恨み言の一つも言いたくなってしまうのである。
※最近のRe物の写真を見たが、テールピースも正しく修正されたらしい!めでたしめでたし。(2005・2・20)

 ちなみに、テールピースの棒の部分に何かが巻きつけてあるのが見えるかもしれないが、これは「台所用アルミシール」(隙間隠し用)である。テールピースにドック・クリップを引っ掛けるときに、直接傷をつけないようにこれを巻いた上から引っ掛けているのである。破れかけたらまた貼りなおす。安くてお手軽である。


2005年 1月その2 「Hofnerちょっといい話?」 

 久しぶりに、リッケンのふるさと、東京の楽器店
「ディア・プルーデンス」を訪れた。
 以前にAC100を無理やり購入して以来、実に
5年ぶりだった。
 以前とまったく変わらぬ店のたたずまい。そして独特なテンポ感をもつオーナーも変わらない。
 変わったのは、オーナーの息子さんがもう小学生になっていたことである!

 この店には、よくプロのミュージシャンが来る。楽器のレンタル(高額な楽器は、プロモーションビデオの撮影時やレコーディング時によくレンタル貸し出しされる。)などの関係らしい。以前
スピッツのベース(田村氏)の方に出会った。彼は以前には高崎のオールドギター屋までわざわざ出かけてきてベースYを買って帰ったつわものである。

 久しぶりだったが、オーナーはおいらのことをよく覚えていてくれた。職業から住所、買ったものなど、よく記憶しているものだ。しばらく楽器談義に花を咲かせていたが、そこで
思わぬ事実が明らかになったのだ。

 おいらの1963年型へフナーは、大阪の楽器店M○Cで購入したものだ。
目ン玉が飛び出るほど高かったが、独身だったし何とかなるだろうと思って、まさに「清水の舞台から飛ぶ」覚悟で買ったのだ。当時その店には2本のオールドへフナーがあった。よく似ていたが、一点、ナットの色だけ違った。(もう一方は白黒白でなく、黒白黒だった)よくあることだが、それだけですごく値段が違うのである!部品単体で言えば数百円だろうに…おいらは「どうせ借金」と割り切って、高い方を買ったのだ。しかし、若気の至り、ほんとにこれでよかったのか?という不安をいつも抱えていたのも事実だ。
 さて、そんな話をしていたら、ディア・プルのオーナーが
63年のへフナーを以前売ったことがある」というので、
「どんなやつでした?」と聞くと…なんと、それは「へフナー・ブック」の著者Joe氏に頼まれて、オーナーが写真を提供し、掲載されたものだが、その楽器を買った方がその後大阪の
M○Cに売ったというのである!それっておいらの「203号」じゃないっすか!!なんという奇遇なのでしょう!?私がそういうと、オーナーは特に驚きもせず、こう言い放ったのである。
「結局、楽器というのはそれを本気で求めている人のところへ自然とたどり着くものなんですよ。・・・」
なんというロマンティックな発想なのだろう!!ちょっと感動した、正直。
 「俺が買った」のではなく、「楽器がここへたどり着いた」というのだから。ますます好きになった。楽器もこのオーナーも。
(ついでに「あれは本物に間違いないですよ。」とお墨付きをいただきました。63年と偽って改造してある64年型というのが、裏の世界ではかなりの数出回っているらしい…おお恐・・・。)

 ということで・・・私の宝物へフナーとリッケン。私が両者を「引き合わせた」と思い込んでましたが、結局
両方ともディア・プル出身だったのです。へへへ。

 
こう考えてみると、ビートルズ楽器を本気で探したければ、まず相談すべきは「ディア・プルーデンス」さんだということがわかる。あそこに聞けば、どんな楽器がどう動いたのかをほぼ把握出来るのだから!もともとタマが多いものではないので、もし売りに出れば情報が伝わるのだろう。きっと誰にでも本気で相談に乗ってくれるに違いない…。


2005年8月 「ヴァン・ゲント君装着!」 

 左の写真は、へフナーに使用されている「ヴァン・ゲント」の糸巻き
(ペグ・マシーンヘッド・チューナーなど呼び方は様々…)である。

 よく見ると…違いにお気づきかしら?

 そう、ベースプレートのかたちが微妙・・・でもなく、はっきり違うのだ。
 上のほうは、1961年4月ににポール・マッカートニーがドイツはハンブルグのスタインウェイ楽器店で購入したヘフナーに付いていたのと同じ形である。たぶんこれも同じような頃に作られたのではないだろうか。「ヴァン・ゲント」とはこの糸巻きを造った会社の名前らしい。色々調べたが、あまり詳しい情報がない。名前からしてドイツかそこらの会社だと思うが…現存するのかさえ疑問。

 下のものは、同じくヴァン・ゲントだが、1963年頃のモデルらしい。ベースプレートが小さいのは、たぶんヘッドなどの形状によりスペース効率を稼ぐ目的でモデルチェンジされたのだろう。

 今回、上の「ポール型」を入手した。しかし、そのままでは私の500/1につけることは出来ん。なぜなら、
ストリング・ポストの長さが短いからである。ヘッドの薄い機種なら行くだろうが、へフナーは肉厚。これではヘッド表面まで届かない。そこで、1961年型に1963年型のポストを移植することに。同じ会社の製品だから互換性があるだろうと。案の定、取り付け部分の形状は全く同じであった。
 ※もしかしたら、同じ時期でも目的に応じて両者を使い分けていたのかもしれないなア・・・

 もとの1963年型を取り外し、ポストを1961型に移植。
 これは簡単だ。マイナスドライバー1本ですぐ出来る。
 その後、ヘッドに空いた元のねじ穴を埋め、補強のために木工ボンドで接着し数時間放置。

 ある程度固まったら、埋め木の部分を平らに成型し、新しい糸巻き用のねじ穴を開ける。
※間違ってもいきなり木ねじをさしたりしない。私は不器用なので、必ず曲がってしまうにちがいないから!キリできちんと穴を空けてから!

 右の写真が取り付け後の写真である。
 見た目はだいぶ向上したといってよいだろう。

 さらに下にポールのへフナーの写真を入れてみた。
糸巻きの付く位置が私の1961後期型よりも上のほうに寄ってついているのが見えるであろう。
 これも同じ1961年型でもかなりの個体差があるようだ。一般的に、前期のものほど上部寄りについているようだが、後期でも上部についているものもあるし、ポールのものは前期のものとしては下寄りについている。
※これを見分けるには、ヘッド表面側のロゴの位置を見るとわかりやすい。特にトラスロッドカバーの部分にある「スペードマーク」の隠れ具合は分かりやすい。

 さて、これでまた一歩進化した500/1君。
 ただし、最近リア・ピックアップの出音が小さくなってきた。断線はしていないようだから、問題はボリュームポットか、もしくはアース不良、キャパシター不良などが考えられる。
 回路をチェックしながら直したいところだが、ポットはオリジナルの形状を壊すのはもったいない。なんとか60年代のものを手に入れて交換してみたい。
 といっても、国内でへフナーのオールドのボリュームポットを見つけること自体が不可能??
 また海外で見つけるしかないのかのう・・・
 苦手な英語作文でメールを打つしかないのかのう・・・。


2005年8月その3 「Hofnerピックアップ君、海外旅行へ…」 

 左の写真は、私の1961年型へフナーのピックアップの内臓である。
 コイルが2つあるのがお分かりだろう。
 ここでお詫びを申し上げたい。
 ダイアモンド・ロゴ・ピックアップを、私は以前
「シングルコイル」だと紹介していた。(参照)しかし、これは誰がどう見ても「ハムバッカー」である!!申し訳ない!!どうりで、12KΩも抵抗があるはずである。シングルだったらそんなに抵抗値が高いわけは無いのだ。
 実は、ブリッジ側のピックアップの出力ががぜん落ちて来たので、抵抗を測ってみたのだが、「1MΩ」とかいうありえない数値を示したので、「これは断線だな」ということになったわけだ。
 国内の業者でピックアップ・コイルのリワインド(巻きなおし)を探してみたのだが、どこもC万円ぐらい取るようだ。
 どうしよう、と悩んでいるうちに、以前へフナー・ハウンズ(?)というホームページで知り合ったアメリカンである、
Brett Brubaker氏を思い出した。航空機のエンジニアをしながら、趣味でビンテージギターのピックアップ修理を請け負っているという。こういう方なら、気合を入れて直してくれるにちがいない。
 早速メールしてみると[foggymtn2002@yahoo.com]
(陽気な感じで)
「オーケイ、送ってこいよ!お前さんが俺にとって初めての日本人の客だぜい。ベイビー!」
てな返事が来た。(?)すぐにEMSで送った。上の写真は彼が送ってくれたものだ。

 彼のところでチェックを受けてみると、2つのボビンのうち一方は断線。もう一方は巻きが緩んでおり、抵抗値は4KΩまで下がっていた。(単純に、通常なら2つで12KΩあるはずなのだ)
 迷わず、両方とも巻き直しを依頼した。

 それにしても、こんな構造になっていたのかと、写真を見てしばし感動である。初めてキャバーン・ベース(リイッシューの方)を弾いたとき、
「音がでかい!」
と驚いたものだが、考えて見れば、それまで使っていた500/1は「見た目だけハムバッカー」で中身はシングルコイルだったのだから、今となっては納得のいく結果である。
 さあ、もうすぐ修理も完了するであろう。はやく500/1を完全な姿に戻して、バリバリ弾き倒してやりたいものだ。


 早速Brett氏からメールや写真が届いた。
 左の写真はまきなおし前の写真であろう。
 上の白い方のボビンはもうワイヤーが外してある。
 下に敷かれた紙には、ピックアップの状況がメモ書きされているのが分かる。「GREY」の方に「4kΩ」と書かれているのが見える。
 また、上のほうのボビンのメモには「OPEN」と書かれているので、たぶん「断線して抵抗が無い」状態のことを指しているのだと思う。このように細かくメモを取りながら作業してくださったのが良く分かる写真である。

 右の写真は、かなりきれいにワイヤーが巻かれているので、作業後の写真だろう。
 オリジナルに使われていた43ゲージのワイヤーで、同じように巻きなおしてくださったのだそうだ。
 結果として、一つのボビンで5KΩ、合計10KΩ程度の抵抗に落ち着いた。
 
 さて、最後の映像は組み立てだろう。
 ボビンの上に見えるテープは、ボビンとポールピース(四角く見える鉄の部分)を密着させるために、へフナーで使われている手法である。オリジナルの段階でも使用されていたのが上の写真で分かる。これも元と同じように完全に治していただいた。

 これだけの作業をしていただいて、いくらかかったんだ?と聞きたいだろう。お教えしよう。
 $50である。
 シングルコイルなら$35だという。格安だ!!
 ピックアップが届いたらまた報告しよう。 


 ピックアップが届いた。
 計測するとジャスト10kΩ。完璧である。

 早速、元通りになるように配線を始める。
が、コントロールパネルの裏側は意外と込み合っており、外すときほど簡単にはいかないものなのだ。
 特に、細ーいアース線が厄介だ。素材が悪いのか、半田の乗りが極めて悪い。「付いたかな?」と思ってピンセットを離すと、
「ぴよよーん」という感じでまた外れてしまう。
 そんなことを2〜3回繰り返しながら、何とか配線はできた。
 さて、AC100君のスイッチを入れ、シールドをつないで試運転である。
 おおおお!音が出るぞオ!!(当たり前か。でも送る前は出なかったんだから…)それもかなりの音量だあ!アンプが近すぎてフィードバックが始まった!!こりゃあすごいぞ!!

 ピックアップの高さをやや下げ、チューニングをして弾いてみた。巻きなおしたピックアップは10kΩ。これで十分の出力だ。もしこれを12kΩにしていたら、と思うと…扱えないことになっていただろう。感じとしては、8kΩぐらいでも十分という感じ。

 とにかく、ブリッジ側のピックアップの音はクリアーでタイトな音に生まれ変わった。これならいくらへフナーといえどもセッティングの幅が広くなったといえよう。

 調子がいいので、機会があったら今度はフロント側のピックアップも巻きなおしてみようかなと思う。出力がやや落ちている感じがするし、バランスを考えるとこっちも10kオームぐらいにそろえられたらいいと思う。


2006年12月その2 「With製500/1ツウィードケース」 

 悩んだ挙句に購入してしまったのだ。
 何をかと言えば、この
ヘフナーベース用のケースである。かなりの金額ゆえ、以前は諦めたのだが、オリジナルケースの無い1961年型へフナー君のために、清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入したのだ。
 
 写真奥の茶色っぽく見えるものは、1963年型のヘフナーのお家である。通称
「セルマー・ケース」。イギリスの楽器商セルマー社が、ドイツのヘフナー社から楽器を輸入し、販売していた頃、独自につけていたケースである。このケースだけでも高額取引されているほどの人気のケースなのだ。
 もちろんそれは、マッカートニーがこのケースを使用していたことが少なからず影響していることは間違いない。映画「Let It Be」で、最初の場面、ローディーのマル・エヴァンスがポールのヘフナーのケースを持って登場するが、あの時持っていたのがこの「セルマー・ケース」と言うわけだ。
 ポールの1961年型には、当初は黒いケースが純正で付いていたのだが(ハンブルグ時代の写真には多数写っている)、たぶん酷使されてボロボロになったのだろう、後の写真も見ると1963年型とおそろいのセルマー・ケースに入れられていたことがわかる。きっとケースだけ一つ余分に注文したのだろう。そうなると私も、1961年型にこのケースを用意してあげねばなるまい(笑)。

 今回のケース、非常に良くできている。
 例えばこの写真を見て欲しい。オリジナルのセルマーはこの「バンザイ金具」を4つ使用しているのだが、With版もちゃんと同じ形式の金具を4つ使用しているのだ。
(若干形は異なる。同じ方も当初カタログにはあったらしいのだが、製造中止になっており手に入らなかったそうである。)
 また、貼られた表皮のデザインもよく本物をコピーしている。中のフェルトの色も緑で、オリジナルに一歩でも近づこうとする意欲がひしひしと感じられてうれしいほどである。

 もちろん、現代的な発想での改善もなされている部分がある。
 まず第一に取っ手である。オリジナルの皮革の取っ手は破れやすく、かくいう私のケースもすでに取っ手は千切れ、交換されているのだ。この部分はさらに頑丈な作りに改善されている。また、内部のクッション材もさらに弾力のあるものになっているので、電車に揺られての長距離移動などには向いていると思う。フタと本体をつなぐバンドも、オリジナルは布製であるが、With版は革で作られ、耐久性を向上させている。さらにおまけの細長いクッションで、ベースがケース内で揺れ動くことを最小限にとどめようとしている。
 
 唯一の弱点と言えば、この色合いか。
 色焼けすればかなり変わってくると思うが、まだ真新しいこのケースの色はかなり白っぽい。今後長い時間をかけて色焼けしていけば、本物とかなり近い程度まで黄変するかもしれない。が、もしそうならないとしたら、フェンダーのアンプなどであるような「ラッカー塗装」を施すことで近い色を出せるかもしれない。いずれにしてもすぐにどうこうしなくてもよい問題である。しばらくはこのまま使っていこうと思う。

 これを購入したとき、ついでにヘフナー50周年記念モデルのケース内も見せていただいた。(例の単板トップの500/1ね)同じような色のケースだが、内装は黒。ケバケバした素材の内張りに、湿度計(笑)まで付いていた。Withの方の話によれば、あまりフィットするケースに長期間入れておくと、塗装面などの影響が心配だそうだ。たしかに、ラッカー仕上げの楽器を別の素材のものにずっと触れさせておくと、思わぬ化学変化が起きてしまいそうである。くわばらくわばら・・・・。

私には、あのような
「高級感バリバリ」系のケースよりも、この「オリジナル重視・ライトウェイト」なケースの方が好みに合うようである。 


2007年2月 「ヘフナー君ネック修理です。」 の巻

 この写真は何かと言われてわかるようだとキケンなマニアである。これは、ヘフナーのネックの
ヒール部分のつなぎ目である。実はこのヘフナー、購入時からこのつなぎ目が心配な部位だった。どうもすきまがあるように見えたのである。しかし、サスティンも出ているし、弦高もまあまあ弾けるので、放置していた。
 ところが最近、だいぶこのすきまが広がってきたように見える。明かりにかざすと、反対側が見えるくらいだ。これではいつかここがバキッと剥離して、ネックが取れてしまわないとも限らない。大事になる前に、一度くっつけておいたほうがよさそうである。

 しかし、これを自分で直すのは至難の業。すきまが狭いので、普通のボンドなどは自分では入れられない。困った。
 そこで、以前から気になっていたリペア専門店様へお願いすることにした。今までの修理例を写真入で紹介してくれているし、安心感がある。第一、
「楽器は道具である」というスローガンが気に入った。

 早速宅急便で楽器を送る。すぐにメールで返事が来て、
「このくらいなら1週間。ネックは外さなくても接着可能。」
だそうだ。すぐに依頼する。
 2日後、もう作業完了のメールと写真が。
「ネックを直したら、15フレット以降の指板の反り上がりが弦に接触する。どうするか?」
というものであった。確かに以前からネック取り付け部を支点にしていわゆる「ネック起き」が起きているのはわかっていたが、修理によってさらに影響が出るとまで気付かなかった。認識アマス・・・。
 対策は3つ。
A:15フレット以降のフレットを削ってビビリを無くす。
 
→安いが、フレットは見た目だけの飾りになってしまう。
B:ネックアイロン。
 
→高いうえに、塗装のラッカーが熱に耐えられるか心配。
  さらに、数年経つと戻ってしまうケースも…

C:指板を削ってフレットすり合わせ。
 
→高い。しかし、効果は確実。指板が厚いので影響少なし。
というわけで、Cコースを選択。
 これまた数日後、作業の完了を知らせるメールが。
フレットワイヤーは、オリジナルを修正して使ってくれたとのことで、見た目の違和感もなくしてくれた気配りがうれしい。
 
 割れていたすきまもばっちりくっつき、指板も今までの曲がり具合が嘘のように収まっています。
 全てのフレットがすり合わせられてぴかぴかに輝いています。弦高は15フレットあたりで約2ミリ。これは今までのおよそ半分くらいの低さです(笑)。あんまり低すぎてピックアップに弦が当たるので、ブリッジを1ミリ上げて調整しました。これでベストポジションのようです。

 製造されてから46年目を迎えたヘフナー500/1君。
 この修理で、次ぎの40年を生き抜く手ごたえを得たか。
私はこのベースを手放すことは無いであろうが、私がこの世から消え去った後も、きっと誰かがこのベースを手にし、演奏していくことであろう。50年後、「幻の楽器」となった頃には、この「平成の修理」が、この楽器の遍歴の中で大切な意味を持つことになるのではないだろうか。
  




2008年2月 「ヘフナー・ヘッド観察会」 の巻

 ※掲示板でヘフナーのヘッドやペグについていろいろ勉強させていただいたので、忘れないうちに総まとめをしておこうと思う。

その1 ヘフナー・ヘッドの形状について
 
 まず、この勉強のスタート地点はポールの1963年型ヘフナー500/1だ。
 左の写真はその特徴をみるために線を入れたもの。
 
@ロゴの素材・・・ポールのロゴはいわゆる「デカール・ロゴ」だ。1964年採用のレイズド(プラスティック)・ロゴではなく、ヘッド突き板に貼られたものである。この時期のロゴの素材は今でいう薄い「デカール」というよりも、ブラスっぽい素材で厚みがあるので、角度によってはレイズド・ロゴのように立体的に写真に写る場合がある。
 
 Aロゴの位置と角度・・・ポールのロゴはかなりヘッド上端に寄っているのが見て取れよう。これは後述する糸巻きとの相関関係があるのだが、頭文字Hの上は
2〜3ミリ程度しか空いていない。最近のリイシューでこれだけ上に寄ったものはまだ再生産されていないであろう。
 また、ロゴの角度であるが、画像からでは正確に何度とはいえないので、目安に赤い線を入れてみた。左ストリングポストの下から、右ストリングポストの上にむかって引いた赤線と、ロゴの傾きがほぼ同じ感じになっている。

 Bヘッドの形状について・・・ポールの物は、ヘッド下側のあご(他に良い呼び名はないだろうか…笑)を結ぶ黄色い線が、トラスロッドカバーの上ねじの3ミリしたあたりを通ることが分かる。この部分は、1963年後期(セルマーシリアルナンバーで300番辺り)から数ミリ上方に移動されている。現在のリイシューものはこの「1963後期型」のヘッドを手本にしているようである。

 右の写真は1963年後期型の典型的ヘッドである。
 ロゴの角度などは中期までとほぼ同じであるが、あごの部分が数ミリ上に移動したことにより、ペグの位置が相対的に下がったような印象を受ける。実際にはペグ位置はあまり動いていないと思われる。これ以降、さらにペグ位置が下がった固体も見受けられるようになる。
 
左の写真は私が所有していた1995年製の「20/40アニバーサリー」である。ヘフナーがV62を発売するまでは、もっともオリジナルに近い仕様を持っていたもので、イギリスの楽器店ミュージックグラウンド社の20周年記念と、ヘフナーベースの誕生40周年を記念した企画によって作られたものだ。
 ロゴの角度はオリジナルとほぼ互角、かなりいい線をいっているが、ヘッドシェイプを見るとあごが上よりに移動されているのが分かる。さらに、63年後期型よりもあごから上の部分を小さく造形したため、ヘッド全体がオリジナルよりも数ミリ短い形状になっている。
 ※なお、20/40のロゴについては、個体によってはほぼ水平に近いものまであることを、掲示板にて「あにば」様より教えていただきました。情報ありがとうございました。

 さて、最近のリイシューである「ヘフナーワールドヒストリー」については、「究極の1963年型コピー」といわれているが、ヘッド形状はどうであろうか?
 左の写真がWHのヘッドであるが、あごの位置は完全に1963年後期型と同じシェイプを採用している。ロゴの角度は十分すぎるくらいついているのに、とてももったいない気がする。
 また、写真等で比較してみると、あごまでの部分が上に数ミリ移動しているにもかかわらず、そこから上の部分をかなりゆとりを持って作ったため、ヘッド全体がオリジナルより数ミリ大きくなる計算になる。そのため、ロゴマークの上下に、オリジナルには無いほどの「余白」が発生しているのである。
 
現在採用中の「丸ペグ」を含め、これをもって「究極」とするか否かは、われわれ消費者の判断に委ねられているといえよう。

その2 ヘッド裏およびペグについて 

 
@ボリュートについて・・・オリジナルの1963年型にはかなりはっきりとしたボリュートがある。
 左の写真は私の203号だが、盛り上がったボリュートが確認できるであろう。同時期の他の個体にも同様なボリュートが多く確認できるので、この当時のスタンダードな形状であったと考える。
 右の写真は1963年後期型のボリュート。盛り上がり方は中期までとほぼ同じであるが、例の「あご」が上に上がったため、ボリュートを頂点とする三角形がやや細身に見えるのが特徴である。
 
 ポールのヘフナーのボリュート部分の良い画像が無いのであるが、時期的にみて同様のボリュートがあると考えるのが自然であろう。

 では、リイシューのボリュートはどうか。
 まず、20/40については、あまり大きなボリュートが無いようである。
 
左下の画像は20/40のヘッド表裏の画像であるが、頂点の無い山形になっているようだ。この特徴は、その前年に売り出された初期型キャバーンモデルにも共通する。それにしてもこの個体のロゴはかなり浅い角度で入っている。

 WHのボリュートは、右の写真で分かるとおり、かなり強めのボリュートが造形されている。オリジナルを計測したのかどうかは分からないが、ここはオリジナルに近づいたと評価できるところであろう。

 

A二連ペグについて・・・60年代に使われたニ連ペグは、少なくともねじ穴の違いにおいて2つの種類があることがわかる。
 左の写真はオリジナル1961年型(いわゆるキャバーンベース)の二連ペグである。1963年型よりもかなり上に付いているのも面白いが、特に注目は下の取り付けねじ位置である。ベース金具のくびれ位置に、3つ目のねじ穴が位置しているのが分かる。
 ところが、右の写真(1963年型セルマー191号)のねじ穴は、くびれよりも下の広くなった部分にあけられているのだ。
 ペグボタンの形状も若干の差異があるので、これは個体差というよりも仕様の変更だろう。ぱっと見ではなぜこの差があるのか分かりづらいが、もしかしたらストリングポストの直径を大きくしたのか、歯車を大きくしたことによってねじ位置を下げざるをえなかった可能性もある。

 さて、ではポールのベースはどちらのタイプだったのだろう?
 画像は悪くてもうし分けないが、ポールのベースのヘッド裏である。
 これを見ると、ねじ穴の黒い点は、くびれとちょうど横並びに見える。
 つまり、前述の2つのうち1961年型に付いていた方であろう。
 リイシュー群を見てみると、初期キャバーンや20/40に使われていた二連ペグのねじ穴は、下に寄ったものが見受けられるが、最近のV62やワールドヒストリーに使われているいわゆる「丸ペグ」のねじ穴はちゃんとくびれ位置に収まっているようだ。この点は、よりオリジナルに近づいたと考えてよいのではないか。

 以上、駄文を書き連ねてきたが、ここで言う
オリジナルとは、もちろん「ポール・マッカートニー様仕様器」のことであることを忘れてはならない(笑)。これと仕様が違ったところで、ドウということはないし、世界の平和に影響は無いのだ。ただ、いつになったら本当のいみで「究極の」ヘフナーが売り出されるのか、そのことがほんの少し心配なだけである。(続く)


2015年3月「ポールの1961年型Hofner500/1に関する一考察」 

今年初めての更新である。

Facebook上で交わされた情報だが、記録のためにこちらに書いておこうと思う。

ポールの1本目の500/1に関する一考察である。
以前から、
「ポールの一本目のヘフナーには『ボディ・ロゴ』があったのか、無かったのか?」
については色々な意見があった。

 ←参考までに…私の1号機のボディ・ロゴ。

 まあ、まとめるとつぎの2つの立場である。
@あのベースは左用の特注品だから、わざわざ見えなくなるロゴを貼る必要なかっただろう
 =「ロゴなし」
Aボディーは組み立てられるまでに塗装までされた状態で保管されており、左用の注文を受けた後で、コントロールキャビティの穴をあけたのだ。1961年にはボディロゴは標準だったのだから…
 =「ロゴ有り」

この二者である。
本物が1969年にアビーロードスタジオから盗難されて以来、発見されていないし、
1964年にリフィニッシュされてしまったので、有ったとしてももう削られた後なのだから、
今更確認するすべも無かったのである。
今回、この写真がヒントとなることになった。

1962年ごろのビートルズの写真である。コンサートか録音の時だろうか、シールドを持っている珍しい写真だ。

このポールの抱えている1961年型を拡大してみると…
 赤い矢印の部分を見てほしい。
 ピックガードの下に、なにかが見えている。
 ガードの下にあるので、傷がつく場所ではないし、光の反射とも考えにくい。

 そして、位置を上の写真と比較して欲しい。
 位置がドンピシャである。
 そして丸い形も共通している。
 このような状況証拠をかんがみるに、これはきっと
「Hのしっぽ」に違いない(笑)。

 ということで、今回、かなりの確率で、
「ポール御大の61年型500/1には、ボディ・ロゴがあった。」
という結論にたどり着いたのである。

 長年の謎にようやく終止符が?打たれたような気持ちになり、
思わずこんな形で書き記してしまった。
 だからどうした?的な内容であるが、
 ビートルズ楽器マニアにとってはこれはオオキナ一歩なのである!(きっぱり)。
 
 こんな写真に目を付けた方に心から敬意を表したい。



 さて、もう一つ、私が長年謎に思っていることが、この1961年型にはあるのだ。
 ついでなのでこれも書いておこう。
 
 この写真は有名な
「演奏中に壊れたリンゴのキックペダルを直すマル・エバンス」
の写真である。
アンプがAC100なので、64年〜65年前半のライブと思われる。
なかなかほほえましい写真であるが、
このポールのAC100の後ろに立てかけられて居るのは、
@ネックの色が白く見えることと、
Aヒールの形状および黒い色
Bピックアップリングがボディ真ん中に見える
以上から判断して、
1961年型をリフィニッシュしたものと思われる。
ライブの時には、当時必ずバックアップとして、
このようにステージに置かれてたのだが、
なかなかボディ裏が写った写真は少ない。

 この貴重な瞬間の写真も、
拡大してみると、ちょっと不思議な感じがするのだ。




←よく見てみよう。

 ボディ裏のトラ目までよく映っているが、
 このボディーバックは膨らんでいるように見えるのである。

 写真の写りがいまいちなので、これだけでは何とも言えないが、
 ボディーの向う側のエッジや、バーストの黒い色が全く見えないのだ。
 
 もしも全くの「フラットバック」であれば、
 もう少しボディー全体の形や、向う側の「塗り直したバースト」
 が見えてもいい角度であると思う。
 
 光線の関係などもあるだろうから断定はできないが、
今後他の写真が発見されたりすれば、明らかになる日もあるだろう。

 同じく、ポール御大のヘフナーのトップは単板だったか、ラミネートだったかも、
製造された時期がちょうど両者が混在して使われた時期なので、実は不明なのだ。

実際には本物君が行方不明である以上、
誰も
「絶対にフラットバックであった」と言い切れる人はいないのが、
 2015年時点での事実なのである。いつか解明される日を、楽しみに待ちたいものである。




2013年8月「Hofner500/1 ネックリセット!」 

いよいよ63年製500/1のネックがやばい感じである。

 よく見ると、ネックヒール部分が浮きかかっているのが見えるだろう。
 ヘフナーによくある、ネックジョイントのゆるみ現象である。
 もともとここがニカワでつながれているうえ、構造もさほど頑丈にできていないので、時々は修正してやることが必要な部位なのであるが…。
 この1ミリ程度のずれが、ブリッジ付近まで行くとかなり大きくなるのだ。

 つまり…「弦高が高くなる」のである。
 今回、12F(フレット)付近で弦高が6ミリにも達し、演奏上に影響を及ぼしかねない状態に陥ったのである。ブリッジも全下げ状態で、これ以上下げるなら台座を削るしかなくなってしまう。それは避けたい。

 ということで、根本的な原因を直そうと思ったのである。
 それには、まずネックアイロンでネックをまっすぐに修正し、
 それで弦高を見たうえで、ネックのリセットが必要ならば、いったんネックを外し、再度接着しなおすというプロセスが必要となる。

 今回も、またいつもお願いしている江戸の工房にお任せすることになった。
 61年製のネック修理でもお世話になっているし、一昨年度はテネシアンとジェントルマンの調整でもお世話になった。
あそこならば古い楽器でも安心して任せられるであろう。

 初めの見積もりでは1か月の入院を覚悟していたが、実際には2週程度で治ってしまった(笑)。
 結局、ネックアイロンだけでは足りず、リセットも行うことにしたのだが。

まず、これがネックポケットの状態である。

※ネック横のバインディングのセルは、元々ひびが入って分離していたので、このように取れてしまったのだ。

 ネックポケットには番号が書かれていて、同じ番号がネック側にも。
 これは、塗装前にいったんボディーとネックをぴったりと合うように加工し、その後ネックとボディーを別々に塗装、再度組み立てるという工程があるため、いったん組み合わせたネックとボディー同士を識別する記号である。こいつにはB27という番号が振られていた。

 ネックポケットの隙間を埋めてあるスプルース材が劣化し、割れていたのがネックずれの原因である。
 画像で見る限り、明らかに劣化しているのがわかる。
 材が割れて、はがれている。これで演奏していたのだから、いつ演奏不能に陥ってもおかしくなかったというわけである。




 これを新しい材で補強し、再度ネックとぴったり結合できるように加工する。

 この写真が加工後の写真である。
   一度取れてしまったセルも再生して接着。
 隙間を埋めるスプルース材をしっかりとはりつけ、それを削って微調整し、ネックヒール部分と密着させることが何よりも重要である。

 
ネックヒール側もしっかりと古い接着剤を取り除き、きれいにしてから。

 これを結合し、接着し、数日放置。
 接着剤が硬化してから、弦をはり、ネックが動かないかどうかをさらにチェック。

 こうして最終段階が終わり、送り返されてくる運びとなったのが、約2週間後の8月4日というわけである。意外と早かったな。


さて、結果を見てみよう。

 修理に出す前にあったネックヒール部の浮き上がりはない。当たり前だが。
 バインディングもしっかりとくっつけ直してもらった。新しく作ってもよかったのだが、やはり古い部品の味を生かすためにはこの方がいいのだ。

 さらに、ネックヒール部によく起こるあの「ヒール分離」現象に歯止めをかけるため、
 ※1961年型はそれで入院したのだ…
 今の髪の毛ほどもない隙間に接着剤を流し込んでもらい、バフがけしてもらった。
 これで分離を予防するというわけだ。
 



 結果、弦高はどうなったかというと…。

おなじ12Fで測ってみて、(弦の下の隙間で)3.5ミリ!!
だいぶ弾きやすくなりましたです!

 ブリッジ部ではさらに効果がはっきり見られます。

 全下げ状態だったブリッジが、
 今の段階で(ビビる一歩手前の弦高)、約3.5ミリ上がった状態にまで復活しました。

 これで多少の弦高の変化には対応できます!

 で、
肝心の音はどうなったか?です。

 結果。
 
@生音が大きくなりました。
  →これはネックとボディーが密着したせいでしょう。
 まだアンプにつないでいませんが、きっとパワーアップしたような感じに聞こえるのではないかと思います。

 
Aサスティンの向上
 →これも再接着の効果でしょう。修理前は、割と減衰が早く、いわゆる「ボンボン」ベースでしたが、修理後はもう少し立ち上がりの早い、そして、減衰の遅い音になりました!

 届いたのが夜なので、アンプにつなぎませんでしたが、早く試してみたいです。
 
 これで、1961年君とともにしっかりと「演奏できるヴィンテージ楽器」に生まれ変わった500/1君。
 次回のライブ、8月24日東北復興支援ライブがデビューとなるでしょう。今から楽しみなoyoyoです。

 それにしても、まだまだ修理が必要な楽器は待ってるんですがね。指板の調整がしたいJ50や、フレット打ち直しがしたいSGなど…
こりゃあ銭がいくらあっても足りねえぜ!!(笑)

2014年9月「Hofner500/1 Tuner 交換!」 

久々の更新である。1年ぶり?かな。

 ヘフナー1963年型を手に入れて以来、ずっと探していた部品がある。

そう、あのポールと同じ
「二連ペグ」である。
63年ごろの500/1には、ほとんど独立型のチューナー(通称猫頭)がついている。
このほうが高級感があるし、
セルマー社からすると、これも販売のための改善だったのだろう。

がしかし、
結局は「Paulと同じ仕様に」というファン心理から、
今のリイシューでも二連ペグが再現され、取り付けられている。

そのPaul自身は、2005年頃、2弦のペグを破損し、
その後、リイシュー物のペグに交換していたが、
2014ツアーではまた古いタイプのペグに戻したことがわかる。

 私も長い間、この二連ペグを探していた。
が…しかし…
全く市場に出てこないのである。
 おそらく、この部品を単品で持つためには、偶然このペグが使われている楽器(もちろん、安いやつね。)を発見し、ペグを外してゲットするか、どいつかどこかの工場で偶然に発見でもしない限り、理論上無理だと思えるのだ。

 Paul御大がリイシュー物を取り付けたのを見て、私もいったん猫頭を取り外し、リイシューの糸巻を取り寄せて取り付けては見た。取り付けてはみたが…

 御覧のように、
雰囲気ぶち壊しであるwww。

 ※左がオリジナルの猫頭。右はリイシューの二連ペグ。

結局、見つからないまま十数年の月日が流れ…

 先日、ポール自身に二連ペグを譲ったという人物と接触が出来たのである。
彼はロンドンで楽器の取引などをしている人物で、彼がポールのライブのPAの関係者に、
自分の持っていた二連ペグを譲り、それが最終的にポールのヘフナー修復に使われたらしい。
 その後、彼にはVIPチケットが贈られたらしいが、彼自身は、
「そんなもの良いからあのヘフナーに触らせてほしかった」
と、100%同意できる意見を述べていた。

 そんな彼が、1セット私のヘフナーのために譲ってくれるというのである。
※以前に私は彼のために東京Withオリジナルのツイードケースの手配を手伝った経緯があるのだ。その流れだと思えば…

 UKより、はるばる海を越えてきた二連ペグ君。

 残念ながらブッシュは、
 当時モノが見つからなかったので、
 これまたUKで7mmポスト用のブッシュを購入。
 
 左のブッシュがもともとの6oポスト用。
 右が7oポスト用。
これまたなかなか手に入らないのである。

 ※60年代の猫頭含め、現在のヘフナーも6oポストが採用されている。90年代の二連ペグに7oポストが採用されていたが、ブッシュは頭の直径が12o近くあり、すこし大きすぎる。

 この再生産のブッシュは、頭の直径が11o程度とコンパクトで、オールドとほぼ同タイプである。

 このブッシュを私の楽器に取り付けるには、
 ペグ穴をすこし広げる必要がある。
 元の穴が8.4mm程度なのに対し、
 9.4mm程度まで拡大するのだ。
 テーパーリーマーを使いながら、少しずつ広げていく。

 ある程度穴を大きくしたら、
 このブッシュをはめ、圧入していく。
 なんとか4つうまくはめることが出来た。

 ねじの穴前回はめたリイシュー二連とほぼ同じなので、
 新しいねじ穴はあけなくても取り付けられそうである。

 そして…
とうとう完成。

 夢にまで見た’60年代オリジナルの二連ペグが、
 とうとう私のヘフナー君に搭載されたのである。

 このレアな2ピースネックの63年型。
 そして、
 これまたレアな60年代の二連ペグ。
 まさに完璧なコラボである。

 協力していただいたC氏、
 そして、
 ブッシュを送ってくれたA氏に心から感謝を。

 まさに究極の姿となったわが500/1ベース。

 人生の友として、
 最後まで大切に使って行こうと決意したoyoyoであった。